「未来の子供たちによい環境を」有機農業の目的を問い直す

九州ブロックでは毎年、有機農業関係者の集いとして「火の国・九州山口有機農業の祭典」を開催していますが、昨年の山口県で行われた祭典で、有機農産物の表示と認証の問題に関しての発言の中に、次のようなものがありました。

「有機農業運動は我々有機農業者が国や周囲の蔑視にもめげず、逆にそれを力にしてのびのびとやってきたのに、我々の手から今度は国がそれを取り上げて、狭い型の中に押し込もうとしている。何か窮屈で息苦しくなってきた。」

たしかにそうだよなァ……、 その言葉が、ずっと私の胸に引っかかっていました。

まさに二十世紀末のこの世界は、遺伝子組み替え食品の問題、原発の放射能汚染の問題、焼却場のダイオキシン汚染やその他環境ホルモンの生態濃縮問題など、食べ物に不安を抱かせる題材には事欠かない状況です。

癌やアレルギーなどの多発で、合成化学物質によるこのような環境汚染がクローズアップされ、多くの国民の関心が、食の安全や有機農業に向いてきたことは、当然の成り行きだといえましょう。

しかし、家族の健康と安全な食を求める消費者のニーズ、それに応えようとする(付け入ろうとする?)流通業界や生産者が増えてくる中で、残念なことにかなり怪しい「安全」食品がでまわるようになってきました。消費者の多くが「有機」の店頭表示を信用していないというのが現状です。

改正JAS法による有機農産物の表示問題は、これが背景になっているのです。( … 本当は、海外のオーガニック商品輸入のために、規格の統一を求める輸入商社などの圧力が背景とも言われているのですが… )

先日行われた、九州山口有機農業の祭典(佐賀)や、日本有機農業研究会の全国大会(島根)では、「安全で美味しい有機農産物を作って消費者に届けている」「…届けたい」という多くの生産者の発言がありました。

産消提携や産直で安全なものを作り、それを求める人たちに届ける。

     … 私もやっています。

しかし、ごく当たり前のこととしてやってきた提携や産直に、何か割り切れない胸のつかえを感じるようになってきました。

農家にとって有機農業は、ボランティア活動ではありません。私たち農家は、作った物を売って生活していかなければなりません。ちょうどそこに安全な物を求める消費者が現れて、我が家の農産物を買っていってくれる。 生活の安定のためさらに多くの消費者を見つけようと「安全な有機」をアピールすることになる。  それを繰り返していくうちに、いつしか有機農業運動が、生活に埋もれていってしまう…。

私にとっての有機農業の目的とは何だろうか。何のために有機農業を始めたのだったろうか。忘れかけていた熱い想いを思い出だすきっかけを作ってくれたのが、昨年の山口での有機農業の祭典でした。

そうだったのです。「安全な物を作ってそれを消費者に届ける」為ではなかったのです。

有吉佐和子やレイチェル・カーソンに啓発された有機農業運動に共感したからです。

合成化学物質の地球汚染に、生態系の一員としての人類の(子供たちや、まだ見ぬ彼らの子孫たちの)将来を危惧したからなのです。

そして、こんなに汚れてしまった地球を少しでもまともな環境にして、未来の子供たちに手渡したいとの願いだったのです。

では、農家として何ができるのか。   それなら農薬や化学肥料を止めよう、できるだけ合成化学物質に頼らない、地球に負担の少ない生き方をしようという運動だったのです。

そういう農業をした当然の結果として、そこで穫れた農産物が、周りのよりは、より安全だったというだけの事です。「安全性」は単なる結果にすぎないのです。

ところが現実は結果の「安全性」だけが一人歩きしてしまって、消費者にしろ流通業界にしろ、国や農家でさえも、この「安全性」に振り回されているのです。「安全で美味しい農産物を消費者に届けたい」から有機農業をするというのは、そう言う意味で有機農業の「目的」からいうと本末転倒だといえます。

また日本有機農業研究会が提唱する農薬を使わない、化学肥料を使わないという農法や自給や産消提携などは、有機農業の目的を達成するための有効な「手段」でしょう。しかし「未来の子たち達に、少しでもまともな環境を手渡したい」という目的さえ見失わなければ、その時代にあったもっとたくさんの多種多様な「手段」があるべきだと思います。必ずそれが有機農業の進化につながるはずです。

すでに地球の環境は、我々の科学力や技術力では修復不可能なところまで汚染が進んでいます。環境ホルモンにしろ、オゾン層を破壊するフロンガスにしろ、我々が環境中にまき散らしてしまったこれら合成化学物質を回収するという難題を、未来の子供たちに「宿題」として負わせてしまったのです。

現代に生きる我々は、過去や未来の人(生き物)たちから今のこの時代を預かっているのです。その事をしっかりと認識して、これ以上彼らへの宿題を難しくしないように、自分の生き方を見つめ直す運動をしていかなければなりません。その運動こそが有機農業運動なのです。

2000年3月 日本有機農業研究会機関誌「土と健康」寄稿文
福岡県遠賀郡遠賀町上別府1683 筋田靖之

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