『お遷宮』
菅原道真の二神体が1年に1度おしおい取りに行く行事。
今日は高家天満宮の紹介をします。
昔、菅原道真が左遷された時、海路を通って九州に来ました。
玄界灘は波が荒いため、洞海湾を通り遠賀川から西側に入ってきました。
公民館の前に船着場があったので、そこで初めて陸に上がったのだそうです。
今もそこには『くつぬぎの石』という石があります。
この地より陸路を通って大宰府へと向かったのだそうです。
後に菅原道真をお祭りしたのが、高家天満宮ということです。
鹿児島本線ができるまでは、ここから大宰府まではとても遠かったので、この高家天満宮には、八幡村や戸畑村からの参拝者がとても多くて広い参道の両側には、出店がずらりと並んでいたそうです。
夜店も絶え、さみしくなった高家天満宮に、もっと栄えるようにと、氏子のお父さん達が夜店を出してくれました。
手作りのポップコーンや、わたがし、おでんや焼きそばなど、他にもたくさん有りました。私もその中に加わって手伝いました。
「2年続きの豊作」って本当?
今年の稲は天候にも恵まれて、充分な茎数と大きな穂がついて、昨年の大豊作と肩を並べる程の立派な稲が育ってきました。
ただし、これは台風12号が来る前までのお話です。
コースを関東に取って、一安心、胸を撫で下ろしたのに、なぜかすごい風が2日間も、さすがに戦後最大急と言われる巨大な暴風雨圏を引き連れて列島を駆け抜けていきました。
皆さんの中には、お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、あの台風が通り過ぎて1週間も経たない内に田んぼの色が緑色から収穫の頃のような黄色に変わってしまいました。
遠目に見ると稲穂が熟れている様にも見えます。
しかし近寄って見ると、葉先がみんな台風で傷ついて、枯れてしまっているのです。
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稲の穂は、この葉っぱの葉緑素が太陽の光を受けて炭酸同化作用でデンプンを蓄えているのです。
そのデンプン工場の葉っぱが枯れてしまったのです。
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この傾向は、チッソ肥料のきいている田んぼ程被害が大きいようです。
幸い、我家の田んぼは無肥料栽培で作っているので、よっぽど被害が少ないのですが…。
新聞、テレビで今秋の大豊作を報道していますが、とても信じられない気持ちです。
●「博多鴨なべセット」・「鴨めしの素」の発売のお知らせ。
…別紙。
(もちろん丸体や解体の肉だけもあります。)
お歳暮や忘年会などに是非ともお願いいたします。
ただし、数量に限りがありますので注文はお早めに!!
編集 1年 筋田 泉紀 10/2